※このコラムは、動きづらさを抱える人が「できない人」とされてしまう社会や教育の構造を、私自身の視点から考察する実験ノートです。
始まりは、中1数学の最初の壁である「-1 × -3 = +3」への素朴な疑問でした。
- 算数(目に見える世界): リンゴの数のように、現実の具体的な量を扱う。だから「マイナスの塊をかける」という行為自体が、現実には存在せず矛盾して見える。
- 数学(目に見えない構造の世界): ルール(規則性)の美しさや、構造の一貫性を重視する。
この2つの世界のズレに直面したとき、学校現場では「そういう公式だから丸暗記しろ」と処理され、そうした形で教えられる場面も少なくありません。そして、「省略された構造」をスルーして暗記で要領よく通過できる人が優遇され、本質を求めて立ち止まり、疑問を感じる人ほど「できない人」として扱われてしまう構造があります。
これは英語の「do」の隠蔽(例:I play. の裏に I do play. が隠れている)にも共通する、社会システムにおける「見えない構造」の省略です。
本質を求めるあまり、矛盾をスルーできずに立ち止まってしまう知性。それらは決して「能力不足」や「怠慢」ではありません。単に、システム側のルールや条件と噛み合っていないだけなのです。
私自身も、こうした疑問で何度も立ち止まってきました。そして、このような「見えない前提とのミスマッチ」が、学校だけでなく日常のさまざまな場面で起きていると考えています。
DEKIRU-JANの実験は、個人の能力不足を疑うのではなく、そうした日常に潜む「見えない前提とのミスマッチ」をデバッグする試みでもあります。